もう2週間も前になってしまうが、今年も無事よさこい祭りを踊ることができました。
去年と同様、本山町の地元チーム「本山さくら」での参加です。
今年のよさこい祭りは、自分の人生においても大きな意味を持つであろう、本当に心に残るよさこいとなりました。自分の中での整理も含めて、綴っておきたいと思います
高知のよさこい祭りは今年65回目を迎えました。長い歴史です。
その中で、本山さくらは今年40周年という記念年、アニバーサリーイヤーでした。
役場の上司や知り合いには40年前の本山さくらを知っている人もいて、昔は踊ったんだとか話を聞いていて、その歴史の長さ、重さを感じました。
ぼくは今年2年目の参加でした。去年参加した感想もここで書いたのですが、やはりその時の楽しさ、高揚感、感動はやみつきになり、今年も是非踊りたいと思っていました。
”よさこい”は高知の文化だ! 参加して実感したこと - おいしんごがそれっぽく語ってみた
また、今年は2年目という新米でありながら、スタッフとしても関わらせていただきました。
気付いたらなっていた、というかんじではあるのですが、全然嫌な気はしておらず、自分がやっていいのだろうかという不安な気持ちは強烈にありましたが、できること頑張ってみようと思っていました。
練習後に夜遅くまでスタッフの皆さんと、コンビニのイートインコーナーで集まってミーティングしたりして、そうする中でスタッフの皆さんが裏でどんな仕事をしているのかを知ることができました。
予算の確保、当日の準備、当日お手伝いしてくださるスタッフへの連絡、踊り子への配慮、各方面への宣伝や周知、衣装の準備などなど、よさこいに参加する上で裏ではこんなに色んな準備が進んでいるんだというのを間近で見ることができました。去年のようにただ踊っているだけでは知り得ない、大変さを知ることができてよかったです。
そんな風にして今年始まったよさこいですが、練習始まってすぐくらいのミーティングで、今年で「本山さくら」に一区切りを付けようか、という話が出てきました。
ぼくとしては寝耳に水でした。
去年ぐらいからの参加者の減少が大きな原因のようでした。
よさこいのチームを維持するには、隊列の見栄えとしても、また予算的な意味でも一定数の踊り子の確保はどうしても必要で、それが難しくなってきたということのようで、40周年という切りのいい今年を区切りにしようかという話になっていたようです。
ぼくは去年の本山さくらしか知らないし、他のチームはたしかに多いけどうちはうちでこのぐらいでやっているのかなと思っていたのですが、少し前はもっと多くてここ数年段々少なくなってきている、とのことでした。
スタッフの皆さんも、この話は前々から出ていて、どうしようかというのは考えていたそうです。
そんなスタッフの皆さんの苦悩の一端も知ることができて、悲しくもありましたが、その分今年にかける想いを強くして、練習に臨みました。
練習の中でも特に本祭が近づくにつれて、スタッフや振付の先生から、今年が最後だということを強く意識化されました。
振付の先生が見られる最後の練習の時に、言葉を詰まらせながら踊り子に語った想いはとても印象深く、忘れることができません。
ぼくもスタッフとしてできることには限りがありましたが、他の作業や自分のお仕事でも忙しいスタッフの皆さんの負担をできる限り減らすことが自分の役割だと思い、できる限りのサポートに努めました。
そして本祭当日の二日間
本当にひとつひとつの演舞場・競演場が思い出深く、心に残っています。
去年感じたのと同様の、あのよさこい独特の高揚感。自然とこぼれてくる笑みと歌。観客のみなさんの温かい視線、声援。
あの快感は踊ってこそのものですね。
ただ今年はやはり特別な年。
ぼくは先頭から2列目で、チームでおそらく一番歴の長いお兄さんスタッフ(小6から踊っていると言っていました)の後ろで踊らせてもらいました。
その方も含め、10年20年と踊っているスタッフの皆さんが、毎会場で感極まる姿を見て、自分は本当にかけがえのない瞬間に立ち会えているんだということを、ひしひしと感じました。
踊りながら見たその方の背中を、ぼくはきっと忘れることはないでしょう。
一番最後に踊ったのははりまや橋競演場でした。
本当にこれが最後の演舞となりました。
踊り時間はすごく短い競演場ですが、一瞬一瞬が感動で、鮮明で、輝かしい時間でした。
はりまや橋商店街のアーケードの天上。
燦燦ときらめく照明。
当たるんじゃないかと思えるほど近い観客。
近づく演舞終了点。
踊り切った後、込み上げてくる感動は抑えることができませんでした。
みんな泣いていました。
今年のアツい夏もこうして幕を閉じました。
ぼくはまだ2年目で、思い入れやそこで得た思い出もまだまだ浅くて、10年20年と踊っている方々が感じた想いは、想像さえできないほど大きくて深くて重いものだったんだろうと思います。
ただ、そういう方々が踊っている姿や、裏で起こる葛藤や苦悩や気遣いを見ることで、そうした想いのひとひらだけでも触れることができたのなら、それを感じることができる場にいられたことがなによりも奇跡的で幸せなことだったんだろうなと、思います。
あの場で、あの踊り子たちと、あの瞬間を共有できたこと。
それは何にも代えがたい経験で、体感で、本当に大真面目に奇跡だったんだろうなと思っています。
祭りのチームという、極めてボランタリーな組織が40年も続いたというその偉大さ。
そして、その歴史に区切りがつくその年に踊れるという奇跡。
本当にすごい時間の中にいたんだなと思ったし、24歳という若いうちにこんな経験ができたことはすごく恵まれているなあと感じます。
ただ、これをただの思い出にせずに、先を見なければいけません。
今年の踊り曲は、このような歌詞で締めくくられています。
「長きにわたる歴史の中で、君には未来がどう見えるのか。」
「本山さくら」という大きな歴史的存在が語りかけてくる言葉。
先のことは未だ漠としていますが、長きにわたる歴史の一端を背負う経験をしたからこそ開いていけるものがあるのかもしれません。
よさこい終わってからはそんなことを考えながら、ずっと振り返っていました。
本当に、自分の人生に大きく刻まれた時間でした。
支えてくださったスタッフの皆さん、当日スタッフの皆さん、応援してくださった町内外の皆さん、そして一緒に踊ることができた踊り子の皆さんに、心の底から大感謝です。
協力隊メン!
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おいしんご