田舎へ移住した際に、多くの人が困るであろうことに、方言があります。
人によりますが、高齢の方が話す言葉は方言がきつく、独特な表現などが出てくると意味が通らなかったりするシュチュエーションがあるようです。
ぼくが移住した本山町も例にたがわず、土佐弁(高知弁じゃないよ)が使われていまして、地元の人たちの中にはかなり濃い土佐弁を話す人もいます。
ぎっちり、こじゃんと、えずい、のうが悪い、ひがちに、などなど
でもぼくは、高知市で生まれ育ち、濃い土佐弁もおじいちゃんおばあちゃんの言葉として日頃から聞いてたので、「(フフフ、分かる、分かるぞぉ…)」という謎の優越感(←)を抱いていたのでした。
しかし、そんなぼくでも初めて聞く、意味が理解できない言葉が現れました。
「せっぱい」の出現
その言葉は、「せっぱい」という言葉でした。
おばあちゃんたちが使っているところを聞いたこともない。
使っているところは初めて聞いたという土佐弁はありましたが、何となく意味は知っているというものは多々ありましたが、「せっぱい」に関してはそうでもない。
使用方法は、「せっぱい~する」という風に、副詞的に使うようです。
意味が分からなくても文章の意味は分かるので、困ってはいなかったのですが、高知県民としても非常にモヤモヤする問題でした。
そこで、生粋の高知県民である母にメールで聞いてみました。
ぼく「こっちの人がせっぱいという言葉を使うのですが、意味分かりますか?」
すると母からこんな返信が。
母「明日同僚の土佐弁に詳しい先生に聞いてみます。」
母は学校の先生をしているので、こういう返事が来ました。
つまり、土佐弁歴50余年の母でさえ「せっぱい」の意味が分からなかったのです。
これはますますモヤッと感が強まってきました。
「せっぱい」の意味
次の日、母からメールが来ました。
母「先生たちは嶺北では聞いたことがないそうですが、ネットによると「精一杯」という意味で、高松の方で使われる言葉のようです。高松との交流も多い地域だから、影響があったのかもしれません。」
という内容でした。
「せいいっぱい」という言葉がなまって(略されて)、「せっぱい」になったというところでしょうか。
ネット検索したら確かに出てきました。
確かに、使われているのを文脈で判断すると、「なるだけ、できる限り」といった意味に推測できました。
ちょっとニュアンスは違うけど、文脈的には当てはまりそうです。
一方で、これは土佐弁ではないということも分かりました。
まさか高松の言葉だったとは。
こうして、小さなもやっとは解消されたわけですが、
同じ高知県で、似たような土佐弁を使っていても、確かに嶺北と高知市じゃ交流域に違いがあって、四国の真ん中に位置する嶺北は高知市以上に他三県からの影響を強く受けている、逆に嶺北から影響を与えている、という部分は大いにあり得ると思います。
方言のひとつから、そんな嶺北の文化の一側面が見えたエピソードでした。
「せっぱい」、今後意識して使ってみようかな。
おいしんご