おはようございます、おいしんごです。
泊りの実習などがあり、更新滞っておりました。気付いたらかなり暑くなってきて春はどこへやらというかんじですね。
さて、今日は最近よく考えていることで、グローバリズムとローカリズムということを考えてみたいと思います。
昨今は情報技術などの進歩もあり、世界全体がグローバル化、グローバリズムが台頭しています。多国籍企業なども大きな勢力となり、グローバル人材育成などといって留学制度が充実したり、英語の授業が小学校でも行われるようになったりと、海外志向の強まりはもはや自明です。
こうなった理由はいくつかあると思いますが、大きなところで言うと経済システムが一国内では飽き足らず世界を巻き込んで大きくなろうとした結果ということが言えます。
資本主義の経済システムの基本原理は資本の無限増殖で、そのためには格差を使って利潤を作る必要があります。その格差というのが、経済システムの成長に伴って世界規模の格差になった(経済システムの空間性の拡大)。こういう方向に世界全体が動いています。
世界の多くが資本主義の現在、世界的にグローバル化、国境をできるだけ薄くしていくことは経済的に有用であるのです。これがグローバル化が進むひとつの大きな要因でしょう。
ここらへんのことが詳しく書いてあるのは、私が読んだ本だと水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」などがあります。また著名なところで行くとイマニュエル・ウォーラーステインが「世界―経済システム」といった話をしています。ここらへんもぜひ読んでみたい...
さて、今回したいのは世界の経済システムの話ではありません。
こういった世界の流れとしてのグローバリズムが大きくなっている現在に、私は少しだけ(いや結構大きく?)不安を感じています。
その原因の一つとして、ローカル・地域といったものがないがしろにされているような気がするからです。
これはコミュニティといってもいいかもしれません。コミュニティ研究ではここらへんは細かく分けて定義すると思いますが、私は勉強不足ゆえとりあえず一緒くたにし
て考えたいと思います。
地域とは、人々が生きていく上での空間的な基本単位だと思います。
人間は生きていく以上どこかで住まなければならない(一つの場所に固定せずとも)し、具体的なことを言うと、食べ物など生きていく上で必要不可欠な資源は土地(環境とも言える)に依存しています。
またコミュニティという話をすると、そこには同時に住む人たちがいます。人は一人では生きていけない以上、この人との直接的なつながりというのは生きていく上で非常に重要なものとなってきます(最近は電子空間での人間関係ができて場所に規定しないコミュニティというものも増えてきていますが)。
地域という基盤なしに人は生きていくことはできないと思います。
またそれを拡大すると、地域という意識、ローカリズムを欠いたグローバリズムは大きな欠陥を持っていると、私は思います。
ローカルはグローバルの構成単位です。
マクロなグローバルのシステムというのも確かに非常に重要ですし、そこで活躍できる人というのは限られた優秀な人々でしょう。
しかし、その構成単位であるローカル、地域それぞれを活き活きとさせていくというミクロな視点も欠いてはならないと思います。
それはもっと具体的にいうとそこに住む「人」、「命」を想像(意識)できるかというところになってくると思います。
現在TPPなどグローバル経済をどんどん拡大する方向に向かっています。ここではTPPの是非を議論するつもりはありませんが、そういった流れは地域・ローカルというものを意識できているのか、というのをとても疑問に感じます。
そんな風に考える近頃です。命の方が大事です。
おいしんご
このあたり、読みたいですね。
過去の記事はこちらより↓