おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の役場で林業担当をしています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

初めて村上春樹を読んだ感想 

 

初めて、村上春樹作品を読んだ。
兄貴が読んで、面白かったからと貸してくれたから読むに至ることになった。

 

特に毛嫌いしてたわけではなかったけど、山登り好きが案外富士山に登ったことがないように(実際ぼくは登ったことがない)、読書好きを名乗っているぼくはかの村上春樹をこれまで読んだことがなかった。

 

読んだのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮文庫)だ。
谷崎潤一郎賞受賞作でもあり、村上春樹の代表作の1つだ。本屋でタイトルはよく見かけていたからその存在はぼくも知っていた。

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村上春樹の作品や文体には様々な評価があるみたいだけど、個人的な感想としてはとても面白くて楽しめた。
他の村上春樹作品を知らないからあれだけど、村上春樹はこうやって自分の世界を描くのかと、世界的に評価されるわけだわと、納得できたように思う。

 


今回読んで思った特徴を、2点にまとめて語ってみたい。

 

異世界感と日常感


『世界の終わりと〜』は、2つの世界を章ごとに行き来しながら物語が進んで行く。タイトルの通り、「世界の終わり」編と「ハードボイルド・ワンダーランド」編だ。
「ハードボイルド・ワンダーランド」編はかなり現代的だ。青山や表参道といった実際の地名、実在する小説や映画、音楽の名前が出てくる。


しかし、主人公(私)の職業は「計算士」という数字を暗号化する、実在しない職業だし、計算士の所属する「組織(システム)」やそれと敵対する「記号士」であるなど、非現実的な対象が語られる。

「計算士」が行うブレイン・ウォッシュやシャッフリングという作業、音抜き、やみくろという不可解な存在など、非現実的でSF的な事象が現れる。

 

 

しかし不思議なのはこうした非現実的な事象が描かれても、まったく違う世界観で描かれているという風に感じない。

それは、登場人物の行動や頭の中の動き、身の回りの風景を、事細かに、それこそやかましいぐらいに事細かに描くことで、物語に読者をグッと引き込んでいるからだと思われる。


それもその状況はジャングルや荒涼とした砂漠などではなく、身近にあるような建物の中だったりするから、より想像しやすい。

そんな日常感のある風景に、非日常な設定を加えることで、それをすんなりと受け入れることができるし、ある意味絶妙なズレ、不協和音のようなものがなんとなくクセになって、より作品世界に引き込んで行く。


「世界の終わり」編も同様だ。

「世界の終わり」の世界は、前者とは異なってかなり異世界だ。そこで描かれるのは壁に囲まれたある街(某巨人マンガをイメージさせた)である。
この街の地図は上巻の巻頭に地図がくっついていてイメージしやすい。

壁の中には街や川、森があり、西に唯一の門がある。その門は毎日開いて、街に住む一角獣ーこれも非現実的な存在だーが出入りする。

 

「世界の終わり」編で出てくる主人公(ぼく)はこの街の新参者で、やってくる前の記憶がない。街に入る時に門番に影を切り取られたといった設定や、夢読みといった仕事も異世界感が強い。

 

しかし、その設定の凝り方は異常なほどだ。「ハードボイルド・ワンダーランド」の方と同様に、一角獣や街の様子、壁、登場人物について事細かく描くことで異世界に容易に接続できるようになっている。

 

異世界でも動いていく日常、朝起きてご飯を食べ仕事の時間になったら仕事をし、夜は寝るといったような日常が、冬になったらコートやマフラーを着け、温かいスープを飲み、一息いれる時にはコーヒーを飲むといった日常が、異世界感をより強め、読者はどっぷりとその世界に浸っていく。


この異世界感と日常感の絶妙なミックス、バランスが村上春樹の物語の大きな特徴だと感じた。


無機質な語りに現れる心情表現

 

上記のような日常を事細かに描く語り。これはなかなか無機質な語り口になりがちである。


ある部屋に入った時の説明にしても、ドアがどうだとか机やソファがどうだとか、どこにどのようなロッカーがあってそれはどういうかんじだとかを淡々と描いている。
主人公が考えていることも、つらつらと鬱陶しくなるほどつらつらと書かれている。

文章は非常に無機質な雰囲気を宿している。

 

そんな文章群の中にしかし、所々で豊かな感情表現や心の動きが現れる。

主人公(私)が自分の人生について考える時、主人公(ぼく)が図書館の彼女について考える時、それは白黒映画が急にカラーの映像に変わった時のように、物語が色付いて活き活きとさせる。
実際、「心」というのはこの物語の大きなテーマだ。

 

その緩急というのが、物語を読む手を自然と進めていくように感じた。

 


村上春樹の語ろうとしたこと

この物語に示唆するものというのはなかなか見つけづらい。
そのためにやはり十二分に物語だし、きちんとエンターテインメントなんだろう。

でも、物語というのは人が描いてこそ物語だ。
そこでは村上春樹自身がこれまで見聞きし体験し、頭の中で考え巡らせたことが表れていると思う。

それは、上記した所々で見られる心情表現に見られることかもしれない。
物語は物語として、極めてエンターテインメント的なのだが、そこに、村上春樹が生きてきた上で感じてきたこと、生や死や心について、読み取ることができるように思う。
そして、人生を歩んでいくに従ってそこから読み取れるものは異なっていくのだろう。

この作品は1980年代の作品だが、まったく色褪せず現代性を帯びていた。
村上春樹が世界に名を馳せている所以だと思う。


おいしんご