今日は、少し経済的なことについて。
経済学とかかなりの素人なので、ツッコミある人は是非いただきたいです。
今回考えたいのは「『価値』あることはすべて稼ぎに結びつくということは本当か」ということです。
それは言うなれば「非生産的な経済」の領域についてです。
よくこういうことが言われるように思います。
「森林環境を守るこことか、社会になくてはならないことのはずなのに、どうしてこんなに稼げてないのか」
これは上の問いで言うと「『価値』があることなら稼ぎに結びつくはず」ということが前提にあるように思います。
そして、そのはずなのに現実にそうなっていないのはなにがおかしいんだろうか。なぜその「価値」は認められないのか。
となる。
この問いを考えるということは、「なぜ公共サービスというものがあるのか?」ということにもつながると思います。
例えば極端な例から考えてみたいと思います。初っ端から海外の例ですが、ドイツだったかな。
「直接所得補償制度」というものがあります。
条件不利地域での農業は非生産的なものにならざるを得ないので誰もやらなくなる。しかしその土地で自然に優しい生活が営まれることは、景観や環境や文化を維持していくためにも必要である。
そのため、行政から所得の大半(聞いた話によると9割以上)を補償して、ある意味行政から受けた仕事としてその地域での伝統的な暮らしを営んでもらう。
ざっくり言うとこういった目的を持った制度のようです。
これは「非生産的」だけど社会には必要なことは行政(国)が補償しましょうということです。
経済活動、財と貨幣の交換というのは一般に個人と個人の関係の間で行われることです。
特定の誰かが「価値」を認め、それに対してお金を支払うということで成り立ちます。
では、特定の誰かではなく、みんなのためのサービスについてはどうでしょう。
みんなのためのもの、つまり公共のためのものには特定の個人からお金は渡されないので、国という公の機関が、行政の仕事として行ったり、補助金などの形でお金を渡してやってもらったりするわけです。
社会は経済的に生産的なものだけでできていないので、そうでない分野を保つために公共サービスというものがあるのです。
では、林業はどうか。
林業は現代においては一産業であり、生産活動を行う私人の活動と考えられます。
しかし、林業が自然環境と関わり合う以上、公の分野にも関わる産業だといえます。公共性の高い産業などと言われます。
補助金を払ってでも守られなければならない産業だからという意識の表れだと思います。
ただその補助金のあり方(どうすれば貰えるかやその金額)が適正かどうかという問題もありますが。
またもちろん、ではすべて林業を補助金だけで行えばいいのかというと、そうではないように思います。
ここについては私も答えを持ち合わせていないのが、残念なところです。勉強します。
ただ少なくとも、林業には、また農業にも少しは、「非生産的」な領域というものがあるように思うのです。
農業に関してはそうした側面が正当に評価されず、TPPなどの形で自由競争の波にどんどん巻き込まれそうですね。
自由競争という言葉が出てきましたが、今の社会の流れは「非生産的」なものをどれだけ正当に評価できているのでしょうか。
新自由主義的に、自由な経済活動のできる領域を増やして、小さな政府を目指す現在の流れは、こういった公共サービスを減らすことであり、つまり「非生産的」なものを切り捨てることに繋がります。
教育の公共支出が低いこと、障がいを持つ人や高齢者への福祉費用の削減、低所得者への生活保障の削減、農業や林業の自由産業化など。
すべて経済的に価値がないということで切り捨てられようとしている気がしてなりません。
ここまで「価値」や「(非)生産的」という言葉にはすべて「」を付けてきました。これは「経済的に」という意味を含ませたからです。
つまり経済的に生産性が低いからと言って価値がないということではないのではないか、ということです。
とは言え、現代は資本主義社会であって、稼ぎに繋がるに越したことはない。
林業なら、できるだけ稼げるような、それで食っていけるような仕組みややり方を模索していくことは必要だとも思っています。
このあたりについても十分に考える必要がありますが、今日のところは割愛。
ただ少なくとも以上のことから、「価値あることすべてが稼ぎにつながるわけではない」ということが言えると思います。
「非生産的」なことが正当に評価されているか、ということが問われなければいけないように思います。
色々穴のある論理だとは思うので、皆さんなりに色々考えてみてほしいと思います。
おいしんご