おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の地域おこし協力隊(林業振興活動員)として活動しています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

1年間の雑記

地域おこし協力隊として赴任して、1年が経とうとしています。

 

新しい環境、仕事をしていくというこれまでとは、特に学生のころとは全然違う日常のリズムの中で、上手くいかないこともバタバタとありながら、1年過ごしてきました。いろんな人にたくさんお世話になって過ごせたことに、まずは何よりも感謝したいと思います。そんで自分に対しても、とりあえず1年やれたねということでお疲れさまと。

 

節目という感覚はないですが、節目ぽく1年過ごした今の雑記を書いておくのもいいのかなと思って、メモ程度に書きたいと思います。

 

林業への就業、そして森林・林業の勉強し直し

この1年はとにかく林業についての勉強をし直した1年でした。し直したと言っても、本を読んだり人に教えてもらったりすると知らないことだらけで、ようやく勉強し始めたという方が正しい気がしています。

 

今年度読んだ、森林・林業に関する本はこんなかんじ

 

また林業の現場での実際に施業し、また様々な研修に参加しました。

 

現場

  • 協力隊OBの方々の団体である山番LLPの施業現場の間伐作業
  • 0.5haの間伐-軽架線を用いての集材(本山町上関 5~8月)
  • 0.9haの間伐-道を抜いて林内作業車で集材(本山町沢ケ内 10~12月)
  • 本山町で一人親方として林業をしている方の現場での研修(間伐、道作り、皆伐地の架線集材、機械のメンテナンス等)

 

研修 

 

個人的な動き

  • 近自然森づくりについてのシンポジウム(奈良県「奈良の明日の森を考える勉強会」)
  •  ➔近自然森づくり研究会への入会
  • 東京農工大森林経営学研究室仕事ゼミ
  • 北~東欧旅行-海外修士留学中のKくんとの会合

 

 

実際に林業現場に入ってみての感想

林業の仕事は3Kと言われますが、確かに力仕事が多く(普通にチェーンソー持ちながら道のない山歩くだけでも運動になる)、肉体的に負荷のかかる仕事なのは間違いないです。それと朝が早いのもまだちょっと慣れてません。特に一人親方の方の現場は仕事量がかなり多いので毎日ヘトヘトで帰っています。

ただ、林業は稼げるかどうかということで言うなら、本当に技術次第だなぁという印象です。

例えば伐倒ひとつとっても、僕が1本伐る間に親方は3本ぐらい伐れる。かかり木も現場によってはしょうがないのですが、それも突破しやすいようにかかり方を工夫するかで伐倒時間が大きく異なるし、体への負担も天地です。機械も上手ければ上手いほど仕事量が増える。

技術次第で、体も楽になるし収入も増えるしコストも減る。林業で食っていくにはひたすらにそこしかないなと、強く実感しました。

 

それと、「造材」という工程の重要性は身に染みて感じました。これは山番の先輩方も、親方のところでも、西予市の菊池さんの研修でも非常に重視されていました。生産されるものが丸太である以上、丸太は最終商品なわけで、その品質で収入が決まります。

大学の授業では「伐った木を丸太に切り分ける作業を造材作業といいます。」だけで終わってしまった造材作業ですが、より真っすぐに、また市場価格を見たうえで最も高く売れる長さに造材するということが林業経営のなによりも重要なことだということは現場で学んだ一番のことかもしれません。

 

あと個人的には毎朝お弁当を用意するのが苦痛でしょうがないです(笑) でも山の中で食べる昼飯は格別です(笑) 早く作ってくれる人見つけないと←

 

 

今年一番の出会いは、近自然森づくり

林業の勉強し直しを始めたときに、大学のころ眼中にほぼなかった海外の林業、特にヨーロッパ林業についてもちゃんと勉強しようと思って、今年度いくつか本を読みました。その一つに上でも挙げた浜田久美子さんの『スイス林業と日本の森林-近自然森づくり』がありました。

ここで知った「近自然森づくり」という考え方に非常に興味を持ち、そして12月には奈良県でそれについてのシンポジウムがあるということで、軽トラを飛ばして奈良まで行ってきました。

 

そこで語られた「近自然森づくり」というのは、ざっくり言うならスイス林業の森づくりの考え方、恒続林思想(手入れが収穫になるような森づくり)を基礎とした、生態系的健全性と経済性の両立を目指す森づくりだそうです。そして、そんな森づくりが日本でもできないかと試みているのが、㈱総合農林さんでありました。シンポジウムでは総合農林代表の佐藤浩行さんが登壇し、スイス林業と近自然森づくりの考え方を紹介していただきました。

環境と経済を両立させる森づくり、というのは理想的の(だからこそ非現実的な)ようにも聞こえますが、個人的にはそれは諦めたくないことだし、それにできる限り近づける努力は必要だと思います。なのでこのような取り組みには非常に共感しました。

近自然森づくりについての詳述はここではしませんが、今後ともこの団体の動きには注視して関わっていきたいと思っています。

 

㈱総合農林HP 

http://www.sogoh-norin.co.jp/

近自然森づくり協会 

https://kinshizen.jimdo.com/

 

 

科学・研究領域と現場

いつかのブログでも書いたことがあると思いますが、自分が大学で森林科学を専門に勉強して、実際に林業の現場に入っていくと決めたとき、大学で学んだ科学的なこと、研究領域での成果というものを現場に活かしていくということは自分のやりたいことのひとつだと思っていました。

それはひとつに、研究領域で行われていることと現場との乖離、接点の見えなさを強く感じていたからです。

 

もちろん領域によっては、特に林業工学的な分野においては接点が強いかもしれません。一方で、造林学やもっと言えば森林生態学といったものはどうか。造林の基礎が森林生態学である以上、生態学的に考える林業経営・施業と行ったことが豊かな森づくりには求められているのではないか、ということを強く感じています。

 

生態学的に考えるということは、環境を守るということとはニュアンスが少し違います。

 森林は林業の経済基盤であると同時にひとつの生態系を成しています。そこでは常に生態系の法則によって物事が進んでおり、変化しています。その生態系の法則のひとつ(ひとつなどと分割できるものでもありませんが)である樹木の成長の結果を収穫して我々は木材を生産し林業経営をしています。樹木の成長自体にはお金はかかりません。手を施さずとも樹木は勝手に成長し、またそれができなくなった場合枯れたり、また風や雪で倒れたりします。

その樹木の成長を促すために、またそこに生えている樹木を生産する前に喪失しないように我々は手を施します。森林の生態系法則というお金のかからない力と我々が行う作業によって、我々は森林を改変し、時には収入を得ることができるわけです。

 

つまり、ひとつの山林を長期的に経営していくということを考えたときに、生態系の法則にできるだけ色んな仕事をしてもらう方が圧倒的に経済的なのです。すごく単純な具体例で言えば、植栽より勝手に生えてきた(天然更新した)木を育てたほうが、人間が植栽する労力を払わずに済むとか、そういったことです(もちろんこれも、目的樹種を計画的に生産できないという意味では非経済的な側面を持っています)。

 

逆に言うと、生態系の法則に抗おうとすればするほど、それに抗うためのコストを払わなければならなくなります。下草刈りは植栽木を育てるための競争相手を除去するという意味では必要作業ですが、自然に生えてきた草や木を除去するという意味では生態系の法則に抗う作業であり、これはもちろん林業経営のコストです。

言うなれば、生態学的知識というのは、目的とする森林を作っていくことを考えたときに、どれだけお金をかけずに進めていくかを考えるツールだと言えます。

だから、生態学的に考えるということが林業現場にも必要だと思うのです。

 

科学的知見と現場というテーマに興味があったぼくにとって、そういう意味でも近自然森づくりの考え方には非常に共感しました。

そしてそれができているのが、スイスのフォレスターだということを近自然森づくりについてのお話で聞くことができました。

そしてまたフォレスターは、地域の森の管理・計画から、売り先の調整まで、その地域の森林経営のコーディネーターとして機能していることを知りました。

 

 

自分の目指す人材…?

この1年、本を読んだり同じように森林について学んできた大学の友人たちと語ったりすることで、今の森林や林業のことについて考えて、任期終了後ということもそうだし、その後、自分が40代、50代になったときのことについて考えてきました。

自分はどんな人材になり得るだろうか。

自分は、どんな風に森林と関わっていけるだろうか。

折に触れて、そんなことを考えていました。

 

スイス林業の話に関わらず、生産システム研究会でも、近自然森づくりの総会においても、また林業行政全体においても、こうした地域林業をマネジメントする人材の必要性をよく聞きます。

こうした人材として現在、森林総合監理士(日本版フォレスター)や森林施業プランナー、または地域林政アドバイザー制度などの認定が進められています。

まだまだこうした立場の人たちの具体的な活動は少数しか知らないので、自分としてこれらとどう関わっていくかは分かりませんが、なんとなく目指す方向として近いのかもしれないなという気はしています。ただとりあえずは現場人として一人前になることが目下の目標なのは変わりありません。

 

 

将来、どんな風景に包まれて生きていたいか

林業の現場に入って、具体的な森林と対面すると、その巨大さと自分のしていること、できることの微塵さにたまに戸惑うことがあります。

この延長に、何が生まれて、どうなっているのか。

その先の見えなさ、指針の不明確さ、自身の無さは不安を生んで、足に絡みついてきます。

森林という人の一生より長い期間での動きをする対象物の不確実性のためもあるし、森づくりというものに正しい答えというものがないということもあって、その不安はきっと解消することはないのでしょう。

 

その不安が拭えたわけじゃないけど、なんとなくヒントというか、感覚としての捉え方を最近得たような気がして。

 

それは、地元のおんちゃんおばちゃんと話していた時のこと。

家の裏や、家の前の川岸にスギがびっしり生えているのを見ている時に、「ここは私たちが小さかった頃は芋畑で、川もこの家から見えていた」ということを言っていて。

 

新参者のぼくが当たり前だと思っているこの景色は、この人たちが長い人生の中では変化してきた景色なんだということを、理解しました。

戦後の拡大造林期は、「造林熱」と呼ばれるほどすさまじいものだったそうですが、人間の手によって山村の景観は大きく改変されました。

今見ているスギだらけの景色も、50年経ったら少しは違う感じになっているんだろうなと、そんな気づきにくいけど当たり前のことを漠と思って。

 

今と昔じゃ状況は全然違うけど、森に対する姿勢として、「自分が60や70になったときに、どんな景色に包まれていたいか」という捉え方は、お金とか、学問とか、生活とか仕事とか、役割とか、そういうのを飛び越えた存在の気持ちよさに通じる部分なんじゃないかなぁと思いました。

 

それはあくまでもいつも通り、問いかけではあるんだけど。なんとなく視界がクリアになるような感覚を与えてくれたのでした。

 

問いかけは、つづく

 

おいしんご