おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の役場で林業担当をしています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

ガキ大将根性ってのがあるのなら

ガキ大将根性とか、ガキ大将魂、ってのがあるなら、自分には当てはまることかもしれない。

 

 実家の周りには同学年の友達がいなかった。

小学校低学年の頃は、回りには兄貴の友達が多くて、よく年上の人たちと遊んでた。
缶けりとかケイドロとかドッジボールとか

逆に僕が上の学年になったら、周りには下の学年の子ばかりになった。
特に向かいの家の4つ下の子は仲がよくて、毎日のように遊んでた。
その子以外の子も含めて、よく年下を連れて遊んでいたような気がする。
キャッチボールとかドッジとか、デュエマとか。

その頃はずっと、弟が欲しいって言ってた記憶もある。
末っ子、三男坊だから、弟で、キャッチボールとか相手させる子がいればいいなと思っていたのかもしれない。

そういう態度は、クラスの中でも、あった。
小学校の頃は、兄の影響か母親の教育姿勢の影響か分からないけど、それなりに成績は良くて、声も(声量的にも存在感的にも)大きくて、言ってしまえば目立ちたがりやのリーダーやりたがり気質、があった。

そういった年下の扱いというか、年下との関わり方、みたいなのはその時のガキ大将根性が効いているように、最近感じている。

虚栄を張る、じゃないけど、兄貴分みたいに振る舞うというか、大きく見せるというか。
全然無理してやってるわけじゃないけど、そんなかんじ。

自分は末っ子なのに、なんでそういうところがあるのかなと、不思議に思っていたけど、小さい頃のそういう経験はかなりあるなぁと最近気付いた。

大学っていう狭い世界だけど、そこでの立ち位置なんかも、そういうとことか、小学校からの状態が、どこ行っても続いているようにも思う。


とは言っても、それがどうというあれではないんだけれど。


気を付けてないと、傲慢なかんじになってしまうな、と思っている。
偉ぶっちゃいけない、と心している。
自分のやってることは正しいと感じていても、それを他人に当てはめることは、絶対しちゃいけない。

自分が絶対じゃないし、自分は偉くない。
そんな気持ちと、〈自分〉という強烈なプライド。自意識。自尊心。
そんな矛盾をぐるぐるぐるぐる。

 


立ち位置として気を付けておかなきゃいけないのは、自分が引っ張ってやってるようで、引っ張る自分の相手をしてもらっている、という側面もある。

小さい頃のことを考えても、みんなそれぞれ同い年の子たちで遊べるのに、僕は同い年の相手がいないから、そこに入っていってたようなもんだ。
遊んでやってるようで、遊んでもらってる。

支えているようで、実は支えられてる。
そういう自分の立場を俯瞰して見続けられるようにしていきたいと、思う。

 

 

おいしんご