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おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の地域おこし協力隊(林業振興活動員)として活動しています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

「山登り」から見えた世界

 

大学1年でワンダーフォーゲル部に入部してから、大学4年間、山登りに一番時間を割いてきたといっても過言ではないかもしれない。

 

特に最上級生の3年になったころは、計画や部の運営でいつも頭がいっぱいだった。山にもたくさん行ったし、それなりに立派な活動を3年間してきたと思う。

長期縦走も少しやったし、山に関する知識もある程度は身に着けた。何よりワンゲルのやつらと本当に濃い関係を結べたと思う。

 

ぼくの大学4年間を満たした山登りというものが、ぼくにどんな世界を見せたか、少し語ってみたいと思う。f:id:OISHINGO:20170109015732j:plain

 2年、北アルプス薬師ヶ岳山頂より

命を預け合う関係

 何度かこのブログでも信頼関係について書いてきたけど、それは特にワンゲルで学んだことがとても大きい。

山登り、特にパーティを作って列をなして山に登る場合、そのパーティの人とは少なくとも入山してから下山しきるまでずっと一緒にいることになる。

うちの部では行く山行の多くがテント泊だから、山の上でテントにぎゅうぎゅうになって、寝食を共にする。少々ながらもお酒も楽しむ。

山中1泊でもかなり濃密な時間だ。朝3時ぐらいに起きて、5時に出発して6時間から長いときは10時間ぐらい歩く。ほんとにずっといる。

 

荷物も重いときはかなり重いし、行動時間が長いと本当にしんどい。そんな時は声をかけあう。もうちょっとで着くぞーとか、がんばるぞーとかなんとか。

しんどい時ほど声を出せというのは、高校のバスケ部で言われたことだけど、そう考えたらバリバリ運動部の様相を呈している。

まぁこれはぼくのパーソナリティーが大きいけど。

 

山登りは最近ブームだけど、とは言え危険な環境であることに変わりはない。

山では自分の命は自分で守る。

と同時にパーティは運命共同体的なものだとも思っていて、言ってしまえば命を預け合う仲だ。それほど危険な想いをしたことはないけど、いざとなったら助け合う。仲間がいるということが最大の保険だと思う。

 

また上級生になったら計画を立てて、行動の全体を指揮するリーダーを担う。

特に1年生なんかはまだまだ山に慣れていなことが多いから、常に気をかけてあげる必要がある。荷物配分、時間配分、次の行動の予測など、けっこう頭を使う。

何度も難しい判断を迫られたことがあった。

大きな責任を伴う仕事だけど、その中で自分も楽しむということはとても刺激的で、しかも計画段階から山に触れているからその山への愛着も湧く。

 

少し話がそれた

信頼関係や助け合いってのは、他のチーム競技や団体組織を通して感じられることだと思うけど、山登りは特に、その根底には「命」ってのがある。

どれだけ準備をしたところで事故は起こり得るし、100%安全なんてありえない。そんな状況のところに、一緒に行くんだから、特にリーダーは大きな緊張と責任を感じる。他のみんなはんどうだったか知らないけど、ぼくはそうだった。

根底のところで、「危険だ」、「どうにかみんなの命を守らないと」っていう意識で繋がっているから、それを乗り越えてできた信頼関係は、なんというか、気持ち悪いぐらいの、”愛”だ。

 

そんな意識で繋がる、信頼できる仲間ができたこと、それがこの4年間の山登りの一番の収穫だと思っている。

 

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 1年、谷川岳に向けての写真

 

 

大丈夫を広げる

山の環境は、下界(いわゆる普段いるところ、僕たちは下界と呼んでいる)より厳しい。風が強ければ寒いし、雨が降ればもっと寒い。

晴れたら晴れたで夏なんかは日射が強くて日焼けする。歩いている時は暑くて汗をかくのに止まると風が吹いて寒い。

食事も、場所によったら小屋が十分にあるとはいえすぐに買える環境ではないし、自分が持っていった分しか満足にない(けっこう贅沢に持っていくけどw)。

寝るところなんてのも平らなわけなくて、斜めってたりゴツゴツしている。汗はかくのにお風呂になんて入れない。全体的に下界より汚さが付きまとう。

ケータイも最近は比較的電波が届くようになったけど、それでも基本的に電源は切っている。

なにより重い荷物を背負ってひたすら歩かなきゃいけないという、なんか根本的なところがしんどい。なんで歩かなきゃいけないか誰も知らないけど、とりあえず歩く。

 

 

そんな過酷な環境に、あえて身を置くわけで、それを続けていると、逞しくなるというか、大丈夫の範囲がめちゃくちゃ広がる。これは個人差があるけど、ぼくは特にそうだ。

 

野宿なんてめっちゃ普通のことだし、汚いこと、虫がいること、濡れたり寒かったり不快なことにも、不快感は持つけど対処できる程度だという感覚になる。

 

これは生きていく上ですごく大事なことだと思っている。

 

概念的なことで言ってしまうと、冒険教育という分野にはCゾーンという概念がある。CはcomfortのCで、心地よく感じるもしくは大丈夫だと思う範囲のことを言う。

冒険教育は、冒険、すなわちあえて過酷なことをしたり、チャレンジをしたりすることで、そのCゾーンを広げるというのを狙いにしているそうだ。

Cゾーンが広いと、何か予想外のことや環境が変化した時にも耐えられるか対処しようと考える。

 

今の社会は、とっても便利になったけど、それ故にとっても簡単に生きてしまえるようになったとも言える。言ってしまえばぬるま湯につかっている状態。エアコンなんてその典型だと思っている。

それってぼくは、極端に言ってしまえば人間の退化を招いているんじゃないかと思ってしまう。色んな能力や忍耐が、衰退してしまっているような。

 

極端な例かもしれないけど、地震や災害が起こったとき(地震大国日本では変な例ではないと思う)、急な環境の変化や劣悪な環境で過ごすことに耐えられるようしておくことは大事だと思う。

何もそれは具体的にそうした時のことじゃなくても、つまり便利になってすっ飛ばされた何かを、もう一度自分の手に取り戻して、頭で考えるということが、自己実現とかより善く、生きがいを持って生きていく上で必要な何かを与えてくれるように思う。

 

すごく抽象的な議論になってしまって申し訳ないけど、とりあえず山登りを通して逞しくなった。色んな悪い環境を許せるようになったし、心が広くなったとも言える。

それはこれから立ちはだかる困難に対処する力がついたということなのかもしれない。

 

 

山登りは人生と一緒だ

 ここまで書いてきたように、ぼくらがやってきたようなテント泊で山に登るのは本当にしんどい。きつい。

トレーニング登山みたいなこともするのだが、その時は「わざわざお金使って辛い想いしてきて、なにしてんだろ?」って気持ちになることもある。

 

でも道の途中で止まっても、休憩はできるけど泊まることはできないし、下山するためにはどうにもこうにも歩かなきゃいけない。

だから、不平不満を垂らしながらも、一歩一歩足を前に進めていく。

 なんで歩いてるのか分からないんだけど、とりあえず進まないことにはどうにもできないから、足を進めるしかない。

 

ぼくの登山哲学みたいなものは、「歩けば分かる」っていうこと。

これってなんか、生きてる感覚にとっても近いなと思う。

 

人生も「生きてる意味」なんて、そうそうわかるもんじゃない。

だから、死にたくなることもある。

ただただやみくもに生きた先に、何かしら見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

でも、何か分かるためには、一日一日生きないといけない。 

 

 

ぼくが山の中で一番気持ちがいいときは、稜線をずーーーと歩いて来て振り返ったときに、さっきいた場所がずーーーっと遠くに見えたとき。

あー、こんなに歩いてきたんだなぁ。けっこう歩けるもんなんだなぁと思う。

 

山登りしたら分かると思うけど、人間ってけっこう歩けるもんだ。これは無理だと思っても、やってみたらできたってこと、山登り以外にもよくあることだと思うけど、山登りでは直にそれを味わえる。

歩く前は見えなかった景色や感覚が、歩いてきた道を振り返ることで見える。味わえる。

それが個人的には一番気持ちいい。

 

人生と山登りで違うのは、ゴールがないことと、自分の前に道がないこと。

下山したら終わり、というようにゴールは決められていない。死んだら終わりってことではあるけど、それがいつ来るかは分からないし、だから少なくとも明確にここまで行ったら終わりってのは存在しない。終わりのない道を歩き続けるって意味では、登山よりきついかも。

それと、登山の場合は、雪山とかバリエーションルートでない限り、はっきりと登山道がついていて、地図とコンパスを見つつ、道標に従って、登山道を歩いていたらそうそう道に迷うこともない。

でも人生は、ある程度指針を示してくれる場合はあるし、レールに乗って生きるなんて言われる生き方もあるけど、基本的にどう生きるかは各個人の自由だし、どういう生き方をするかはその人の選択次第だ。

だから、自分の前には道がない。

どの選択肢に正解も間違いもきっとなくて、だから正解を出していくことに慣れてしまったぼく(達と言ってしまってもいいのかも)は、なかなか自由に生きるという術を知らない。

 

生きるということは、だからすごく難しいことなんだと思う。

 

だからこそ、できるだけ共に歩んでくれる、信頼できる、時には甘えられる仲間を増やして、色んな事にも対処できるように大丈夫な領域を増やしていくことが必要なんじゃないかと思っている。それは幸いにも山登りがぼくに与えてくれた世界だ。

 

昔感じた強烈な生きづらさ、それを乗り越えてどう生きていくか。

その力とヒントを、山登りはぼくに見せてくれたように、思う。

 

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 3年、大雪山

 

おいしんご