ここ最近よく考えていることは
「周りの人にめちゃくちゃ支えられて生きられてるなぁ」
ということです。
ほんとに人に頼って頼って、いろんなことがなんとかできてるなぁという感覚がめちゃくちゃ強い。
信頼については過去にこんな風に書いていました。
「支えられ方」ー「信頼」と「諦め」のお話ー|農学が地球を回す!~おいしんごのブログ~
アメブロ時代の記事でした。
今回も、「信頼する」ということについて改めて考えてみたいと思います。
一人で頑張ってつぶれてしまった過去
高校の頃の挫折の経験は今の自分の大きな部分を占めているように感じます。
高2の頃、学園祭の模擬店店長を任され(半ば押し付けられ)、不器用に走り回った結果、仕事を放棄してしまったこと。
バスケ部のキャプテンとして、実力が伴わないまま強烈な責任感だけで、頭カチコチなリーダーを務めてしまったこと。
もちろんそれ以外にも学校という箱に漠然とした疑問を抱いたことや遅れて突然現れた「自我」が扱いきれなかったとか、他の要因もあったんだけど。
結果5年間続けてきたバスケを引退2カ月前にして辞めざるを得ないという状況に(別にバスケ部に問題があったわけではないが)なってしまったのは、一生の後悔として自分の中に残りました。
あの時は、ほんとうにいろんなことが下手くそだったなぁと今になって思います。いや、今も上手ではないんだけど。
実力が、一人でやり切る力がないのに、自分がやらなきゃと躍起になって、空回りして、つまずいて、すべて投げ出して。
でもその経験は苦い薬であって、こうした自分の欠如を自覚させてくれることになりました。
とにかく自分だけの力では何も成し遂げられない
ということを、何となく実感した自分でした。
でも大学でワンダーフォーゲル部に入っても1年の頃はまだ修正しきれていなくて、自分に強い「正しさ」みたいなのも感じていたんでしょう。すごい温度差が生まれてしまって。
ここでも少々挫折してしまって、辞めようかなとかも思ったし。
そこから後輩もできて山も楽しくなって、辞めるってことにはならなかったのはあるんですが。
でも、どうやって変わったのか自分でもよくわからないんだけど、やっぱり組織だし、誰かのおかげじゃなくて、みんなの力でやっていかなきゃいけないなと思って。
自分がやりたいことと、全体でできることをどれだけすり合わせて、ある意味低いラインに合わすような意識にもなって。
部長になるって決まったときは、部長になるのにも正直尻込みしたけど、「お前らが支えるぐらいじゃないと回らないからな!」って宣言してしまって、そしたら結構気が楽になったというか、考え方が変わった気がします。
みんなにやってもらって、できないならできないでいいやというような気持ち。
でも予想以上にみんなよく働いてくれて、色々ハプニングもあったけど、充実した一年になったかなと今では思っています。
ワンゲル以外にも別の組織に所属したりとかちょっとした会とか開いたりしてるけど、どれもそこに所属するみんなのおかげで、ある意味みんなに甘えながらやらせてもらえてるなぁというのが最近の実感です。
「信頼する」というのは「信じて頼る」ということ
信頼するという言葉はまさに文字通り、「信じて頼る」という意味だと思います。
頼るって意外にめちゃくちゃ難しいことだなぁと思います。それは、具体的にはその人に仕事だったり負担だったりをかけさせることになることだから。
やっぱり申し訳ない気持ちが出てしまう。
でも組織は人の集まりで、信頼関係が人々を繋ぎとめるだと思います。
「頼る」という行為には、「信用している」という気持ちも宿るし、組織運営において「信じて頼る」ということの意味は計り知れないと思います。
そして、「信じて頼る」ためには重要な点が2つあると考えています。
まずひとつは、頼られてもいいような自分の態度を表すということ。自分の誠実さを愚直にぶつける、いわゆる「誠意を表す」ってやつだと思います。
そのためには傲慢になってはいけない、という注意点もあると思います。ここは本当に一番注意してるところです。
小さいころから中学受験合格したりとか色んな委員長やったりして、成功体験の豊富な人生初期を生きてきた自分として、やっぱり自分の能力を無意識に過大評価してしまう節がある。それが優越感(ときには劣等感)を生むことは容易で、これは信頼関係を結ぶ際に大きな障害となります。
信頼関係を結ぶ上で、「自分がやったほうが速い」は一番やっちゃいけない危険思想だと僕は思っています。
すごくその気持ち分かるし、自分もそれやってたんだけど。
自分でできてしまうと、あの人やってくれるって周りは思って、どんどんやらなくなります。そうなるとどんどん頼りづらい環境になるし、自分でも頼り方をわからなくなってしまいます。それはその人の組織に対する責任感とか想いを削ることにもつながりかねません。
だから、非効率でも頼る部分は頼ったほうがいいと僕は思っています。
そしてその時に必要な考え方として、「他者肯定感」というのがあると思います。
これは「信じる」という部分に関わってくることだと思うけど、俺はお前のこと信じてるぜ!という感覚、理由なき信用みたいなのができてできることのように思います。
最近は「自己肯定感」という言葉が流布していて、その重要性もすごくわかるけど、それと同じくらい「他者肯定感」というのは必要なんじゃないかなと思っています。
それが、メンバーの居心地のよさにもつながると思います。
そして二つ目は、「頼った」ことに対して、責任は自分でも持っているということです。これは特にリーダーシップに関わる部分だと思うけど、仕事を渡して、渡した相手がミスしたりできなかった場合、その責任を自分にも課すという、ある意味覚悟が必要だと思います。
「信じられる」ということは相手にしてはやっぱり少なからず重たいことです。
だから自分も責任を肩代わりすることで、責任を分担する、気持ちを軽くすることもできる。
また、渡した仕事を渡しっぱなしにしないで、「どうなってる?」って気持ちを向けておくことにもなります。
そうしておくと、相談しやすい環境が作れるように思います。
こうした「誠意を示す」、「他者肯定感」、「責任の保持」がリーダーとしては非常に重要になるんだなぁと、実感した次第です。
そもそもみんなでなんかやるのが好き
若干組織論になってしまいましたが、基本的にぼくは誰かと何かやっていたい、というか自分の意志であれこれゴリゴリ進めるのが苦手な人間なんですよね、おそらく。
逆に、自分のやりたいことと、組織がやりたいこと、やるべきことが重なったときに、めちゃくちゃ働ける。自分で外圧作って、それによって働かせてる、みたいな感じかもしれません。
最近の優秀な人は、一人で起業だったりネットで稼いだり、プログラミングだったりで、自己実現のためにバリバリ活動しているみたいだけど、ああいう生き方見てて、魅力的だけど自分にはできないなーって感覚があります。
それは上のような理由で、まぁそういう人もそれぞれアソシエーション作って多くの人と関わっているみたいなんだけど、組織がある方がやりやすいらしいです。やらなきゃみたいなのが欲しいのかも。
それにそもそも末っ子で寂しがり屋ですし(笑) 一日誰とも会話しないとかけっこうきついですもん。
だから、なんだかんだ組織に属しながら生きていくんだなぁと思います。
そこで大事なのが信頼することと、目標を共有すること。
自分だけでやっているわけじゃないから、自分が100%やりたいことはできない。色んな人と考えを突き合わせて、組織としての目標をたてなきゃいけない。
でもその先には自分だけでは到達できない、自分だけでやったのとは違う到達点があると、思います。
最後に、別に組織とか目標に限らず、高校でへこたれたときも、また大学で色んなこと挑戦して、色んなところに出向いた際も、本当にこれまでたくさんの温かい人に出会えて、支えて生きてこられたなぁと思います。
自分は強く生きることはできない、常に何かに頼って生きていくしかない。
そしてそのためには、すみません!甘えさせてもらいます!ってスタンスでやるしかないなとも思っています。自分がやりたいことを実現するためには。
もちろんそこには礼儀とか誠意を100%込める必要がある。そこに全神経を注ぐぐらいの気持ちで。
そんな風に生きていって、最後には誰かに頼られる人間になれればいいなとちょっとだけ思ったりしています。
おいしんご