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おいしんごがそれっぽく語ってみた

森林が大好きな大学生です!環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

限界にぶち当たりに行く

大学4年である。

就活はしていない。一応卒業後どうするかは考えてあるけど、どうやら一般的なルートには乗りそうもない。

漠然とやりたいことや熱意はある。好きなこともある。

それだけで動いているようなものだ。

安定的に生きていこうという気持ちは、ないと言えば嘘になるけど、あまり魅力的とは思えない。

 

「世の中そんなに甘くないぞ」という言説がある。

夢だけでは生きていけないぞとか、現実的に生きろということだろう。

 

同意しよう。

まだ社会に出ていない学生の立場だけど、世の中や社会というものはきっと厳しく悩ましいものなのだろう。そんな中、人々は、愚痴も言いつつ、強かに、確実に生きているのだろう。

 

 

でも私は同時に思ってしまうのだ。

具体的に、何がどう厳しいのか。その厳しく悩ましい社会において、何ができて、何ができないのか。自分のやりたいことがあって、どこまではできてどこまではできないのか。

 

極端に言ってしまえば、どうすれば生きていけないのか。

 

この言葉にはそういった具体的な、まさに現実的な意味合いがまったく含まれていないと思う。

 

限界というものは、大学生の間では酒の席でよく言われる言葉で言うと、「限界まで飲まないと自分の限界は知れない」のである。

まさにその通りで、限界までやらないと、どこが限界なのかわからないものだと思う。

私はこの大学生活の大半を山登りに費やしてきたが、山登りも自分の限界との戦いである。そして、大抵は限界というのは意外に達さないということにも気づいた。

 

社会人として生きていく上での限界とは同じレベル語れることではないと思うし、限界を決める要因も自分でどうにかならない部分の方でたくさんあるのだろうと思う。

それでやっぱりそういったことも含めて、限界を知る経験をしたいと思う。

そしてその過程で、たくさんのことを学べるのではないかと思う。

 

親が過保護だったせいか、世の中のことを全然知らない学生である。

税金のこととか、給料のこととか、行政のこととか。

分からなくて、困って、解決するために知ったことは、身に染みて学べるのだろうと思う。

 

だから今は、やりたいことや好きなことを求める方向に向かいながらも、限界にぶち当たりたいような感覚である。

あ、やっぱダメでした汗って思いたい。

社会は甘くないというのを、身をもって体験した。

そんな感覚である。

 

限界に自分からぶち当たりに行って、限界と思われていたことが意外にそうでもないかもしれないし、思った以上に早々と限界にぶち当たるかもしれない。

投げやりであるわけではない。全力に、真剣に、限界にぶち当たってみる。

自分の進路選択には、そんな思いを込めている。 

 

 

それともう一つ、大学院に行くという選択肢も十分にあり得たものだったが、やめた。

勉強はめちゃくちゃ好きだし、やり足りたなんて気持ちも微塵もない。あと2年間も勉強や様々な経験をできる期間が増えるというのは、とても魅力的だった。

 

でもそろそろ新しい展開を起こしたかった。

大学ではインプットの比重が多すぎて、それをアウトプットする期間が全然ないのはけっこう不満だった。体がうずうずしてしょうがない。

 

それとやっぱり、自分の持っている論理とは違う世界に身を置きたい気持ちになった。

 

趣味の欄には、読書と書く。本を読むことはとても好きで、暇あらば読んでいる。間違いなく趣味だと思う。

でも、読書という書き方は半分しか合っていない表現だ、と最近思った。

趣味は、理論武装、なんだと思った。

 

別になにか強迫観念や競争意識でやっているわけではない。それが楽しいからやっているのは事実だ。

そして大学や学問の世界においては、それは強力な武器になるということも知った。もちろん教授や先輩なんかは自分より強力な武器を持っているから白旗を上げざるを得ないけど、それでも相手にはしてもらえるし、自分もその理論武装を振り回すのが面白かった。

昔から理屈っぽい性格だから、性にもあっていたのだと思う。

 

でもやっぱり自分はアウトプット向きな人間なんだと思う。現場派というか、活動していたいタイプ。

自分が在学中にしてきた理論武装では歯が立たない、というかそれが役に立たない、論理の世界に行ってみたくなった。井の中の蛙にならないように、大海に出たかったのだと思う。

 

私が傾倒する故・岡本太郎は、人生は積み減らしだと述べた。

経験や知識を歳月とともに積み上げていくんじゃなくて、意識してそういうものを捨て、過去の自分から脱しなくてはいけない、という意味だと思う。

 

私は昔から優劣意識が強く、自分の持っている知識や経験を大事にし、凝り固まるやすい。それは良い方向に動くこともあるけど、新しい方向に動くことは難しい。傲慢も生む。固執とプライドだけには気を付けなくてはいけない。自己肯定感を生むと言われている成功体験ですら、それらを生む危険性を孕んでいるように思っている。

「成功は失敗のもと」、太郎さんの言葉が多くなってしまうのはご容赦いただきたい。

 

意識的に自分が知らない世界とか自分とは違う価値観に触れて生きていたいと思っている。その一歩を卒業後に踏めれば、そう思っている。

 

成功者、と簡単にまとめたくないけど、少なくとも自分の目から見て面白いことだったり魅力的なことをしている人は、自分をある場所に安住させようとはしていないように見える。

知らないことにめがけて飛び込んでいったり、危険だなと思う方を選択したり、無駄だとか無理だと言われたをやってみたり。

失敗から学べることは多いというが、そもそも失敗できるということ自体、その人の能力なのかもしれない。

 

そんなこんなで、今まで通り好きなこと目指して生きていこうと思う。

 

おいしんご