おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の役場で林業担当をしています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

誰でも感動できる数学ノンフィクション小説!を紹介

ずっと読みたかった本の一つを読み終えました。


サイモン・シンの『フェルマーの最終定理ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』です。

高校と浪人でお世話になった塾の塾長がおすすめしていて、いただいた本でしたがなかなか読めませんでしたが、ようやく読み終えました。

             

 

フェルマーの最終定理というタイトルで、数学の学術本かと身じろぎしてしまいそうですが、内容は、もちろん随所に数学証明に関する話も出てきますが、「フェルマーの最終定理」という最上の謎が証明されるに至るまでどれほどのドラマがあったかを、非常に鮮明に、叙述的に描いたものです。

数式が出てきたらアレルギー反応が出てしまう、というような人はさすがに勘弁でしょうけど(笑)、その知識がほとんどなくても数学ノンフィクションドラマとして十分に楽しめる作品でした。

 

フェルマーの最終定理」とは

 

そもそも「フェルマーの最終定理」とはどのようなものなのか、知ってる人は多くはないでしょう。
いかにもかた難しそうですが、その内容は方べき(2乗とか3乗とか)の知識があれば理解はできます。
それは以下のように表現されます。

「x^+y^=z^ nが2より大きい自然数ではこれを満たす(x、y、z)の組み合わせは存在しない」(^はn乗を表しています)

 

xやらnが出てきてうわってなるかもしれませんが、nが2の場合の式はとても有名です。
ピタゴラスの定理というやつで、「直角三角形の斜辺の2乗は他の二辺の2乗の和と等しくなる」というやつです。

           

                http://majo44.sakura.ne.jp/horizon/46.html 


これは中学生の初期にならう定理ですが、その2乗が3より大きくなると成り立たなくなるというのが、フェルマーの最終定理の内容でした。

 

ピタゴラスの定理自体は紀元前に見つかった定理ですし、ずっと広く使われていました。

そしてその定理の美しさとともにこれに当てはまる3つの数の組み合わせは無限にあるという事実に胸を打たれたある数学者ピエール・ド・フェルマーは、ある参考書を読みながら、これを少しいじったら、つまり2乗の部分を大きくしたら成り立たなくなることを見つけました。その考えを詳細に検討した結果、その参考書の空白に以下のように走り書きしました。

〈ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいはある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きいべきの数を同じべきの二つの数の和で表すことは不可能である〉(上の式のこと)
〈私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに示すことはできない。〉

これが書かれたのは1637年ごろと言われています
こんなメモが、数学史上最大の難問のひとつとしてずっと謎のまま数学者を悩ませ続けることになったのです。

 

証明されるまで

それが証明されるまでは実に350年もの年月がかかりました。
その間に偉大な数学者がたびたび挑戦してきましたが、ことごとく失敗に終わってきました。その歴史も非常にドラマティックですが、詳細は本書に譲ります。

そして1993年にアンドリュー・ワイルズがその証明を発表し、1994年に正式に認められて、その難問の歴史に終止符が打たれることになりました。

ワイルズは10歳のころにある数学の本でこの命題に出会いました。
そして内容は簡単に理解できるのに、これまで幾多の数学者が断念してきたという事実に胸が躍り、将来は絶対これを解いてやるという気持ちを抱いたそうです。

数学研究者になってからこれを解く環境になってからは、大学教員としての仕事はしながらも、研究についてはこれ以外行わず、実に7年もの間自宅に引きこもってひたすらこの命題と戦っていたそうです。

 

その闘いの日々もとてもアツいのですが、それ以上に、発表してからの日々のほうが印象的です。

どんな論文もそうなのですが、ある研究を発表したらそれが認められるにはその分野のプロにレフェリーとして確認してもらわなければなりません。いわゆる査読というやつです。
その査読の際に、小さな、しかし非常に根本的な問題が発見されました。

これは非常に厄介な問題で、およそ10か月もの間修正していました。
やり直してはダメ、やり直してもダメという連続の上に、数学史上最大の謎の証明ということでメディアも含めて周囲の声も非常に大きかったのはプレッシャーだったようです。
欠陥のうわさが広まってからは周囲からは完全には証明できなかったんだという声が強まりましたし、どうにも直せそうにないようでワイルズ自身も心を折りかけました。
しかし、手伝ってもらってた数学仲間に支えられながら、諦めに打ち勝ってなんとかワイルズは修正しなおし、ようやく完成させました。
読む側も手に汗握る「修正劇」は感動的です。


フェルマーの最終定理は、それ自体には数学パズル的な要素が強くて、一見それが分かったからってなんの意味があんの?ってかんじですが、重要なことは常にその過程にあります。

ワイルズが示した証明には膨大な論理、定理が使われ、鮮やかなテクニック、独創的なアイディアが使われていたそうです。
その中ではワイルズオリジナルな発想もあって、それは数学において非常に有用なものだそうです(さすがにその内容まではよくわかりませんが)。

その論理の組み立ての中には、日本人数学者の貢献もあったようで、特に証明の詰め、言ってしまえば最終奥義的な部分を占めたのが、「谷山‐志村予想」という発想で、同じ日本人としてはとても喜ばしい部分でした。


本書ではフェルマーの最終定理に限らず、いわゆる「数論」と言われる純粋な数学の論理を研究する分野の発展についても語られています。
そこには暗号だったり虚数の発見、素数についてなども書かれていて、とても読み応えがありました。

 

学問のおもしろさとは!?


訳者あとがきにおいて、訳者の青木薫さんも述べている通り、本書の大きな特徴はその分かり易さでしょう。
「実際、本書には難解なことは何一つ出てこないにもかかわらず、ワイルズが何をやろうとし、どういう道筋をたどったかが鮮やかに見えるようになっている。専門的な数学を事細かに説明せずとも、数学上の業績の偉大さをこれだけ説得力を持って訴えるというのはたいへんな力量である。」
著者のサイモン・シン自身数学者でなく、物理学の出身であるということもあり、そこには特に力を入れたようです。

さらに、やはりこの本の面白さとして、ある一人の天才が難問を自力で解いたわけではなく、過去のたくさんの天才が積み上げてきたものを、ある天才が組み立てなおして作ったという、その歴史、ドラマがあると思います。
そこに学問の魅力があるというのを、著者自身も理解しているのかもしれません。

あとがきでも紹介されているニュートンの言葉
「私が他の人たちより多少とも遠くを見ることができたとしたら、それは巨人の肩の上に乗っているからです。」
多くのアイディアの積み重ねの上に今があるという事実は、見えにくいことですが、非常に重要なことで、物事の深みを与えてくれる事実だと思いますし、人の心を揺さぶるのに必要なことだと思います。

純粋な科学、学問に打ち込む姿、圧倒的な知の躍進には感動を呼ぶものがあるようです。

 

学問の面白さや奥深さを改めて教えてくれる、評判の通り、非常に面白い一冊でした。

 

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ホリエモンも獄中で呼んだそうです。どう評価してるんだろ、紹介してるぐらいだからな。

数学で感動できるとは【書評】フェルマーの最終定理 | KeiKanri

 

 

 


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