おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の役場で林業担当をしています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

選挙はゴールじゃないだろ ―ナチスは民主主義によって生まれたんだという歴史の重さ―

今月のDays Japan(9月号)のおしどりマコさんの連載記事に、民主主義に対する非常に重要な内容が述べられていました。

これは先日の都知事選の最中に書かれたネット記事にも似た内容で述べられています。

oshidori-makoken.com

 

今回はそんな記事や意見に触発されて、先の衆院選と都知事選で感じたこと、民主主義と選挙の関係について語ってみたいと思います。

 

 

 

衆院選や都知事選の時に感じたこと。

それは、野党は自民党の暴走、改憲を食い止めるべく血眼に、熱狂的になっていたことに対する冷めです。

 

あの人を応援しよう!この人を絶対通そう!

まぁ選挙ってそういうもんだから、別にそこは悪いとは思わないんだけど、僕個人としては全然アツくなれなかった。どこか冷めた視線。

 

別に選挙や政治に興味ないとか、期待してないとかそういう冷めではなく、いやむしろそこに関しては強い関心を持っているという自覚はありますが。

 

この人が絶対通らなきゃいけない!みたいな気持ちにはなれなかった。候補者選びってみんなどうやってんだろうなって。友達に「応援しようよ!」って言われても全然乗る気にならなかった。

だから投票の際もなんかしっくりこないまま、だけどまぁどちらかというとこの人ならましかな、ベターかなって人に投票した。

そんな気持ちの人も、少なくないと思う。

 

 

民主主義において選挙ってのは、ゴールではないってのがすごく重要なんだと思います。

選挙で誰が選ばれるかってのは、まぁそれなりに重要なんだろうけど、それ以上にやっぱり自分たちがどう政治とかかわっていくか、生活の中に政治をどう埋め込んでいくかが、そっちの方が重要なんだと思う。

 

もし仮に鳥越さんが都知事になったとしても、支持者は手放しに喜んでいいわけではない。

有名な話だと、ドイツの負の歴史となったナチス、ナチ党は民主主義の名のもとの選挙で公正に生まれ、そして暴走していった。これをドイツ人はとても反省しているそうです。

 

これと同じで、どれだけ自分が指示した人が通ったとしてもそれだけで社会や生活はよくなるわけではない。

その人が押し出していた公約には賛成だったけど、それ以外のところで自分に不利益を被ることが進められるかもしれない。そうなったときに、「でもあの人だから大丈夫」じゃなくて、その時は批判者となって、NOなことにはきちんとNOを突き付けられなければならない。

 

極端な話だと、今話題のアメリカ大統領選に出馬しているトランプ氏。彼の排他的発言は各方面で批判の的になっているけど、一方でTPPに対して反対の立場だし、日本の米軍基地に対しても消極的です。彼の中では一貫した何かがあるのかもしれませんが、こちらからしたらどっちを取ったらいいのだろうと悩ましいところです(別に僕たちが選ぶわけではありませんが)

 

選挙は選挙で政治を動かすリーダー、代表を決めるわけですが、政治はその人たちに完全にゆだねられるわけではないのです。

自分の支持者が通ったからといっても、市民は市民で常に権力の監視役を全うしなければいけない、支持者の批判者にも場合によってはならなければいけないと思うのです。

 

政治に答えはありません。

権力が決めたことは正しいわけではありません。

選挙期間中だけに政治に興味のあるフリをするのはやめて、日々の行いを政治と関連づけていかなければいけないと思います。

議員がどうのこうのもそうだけど、各社会的案件についてそれぞれ自分の中で考えなくてはいけない。

それで立派な主権者なんだと思います。

 

おじさんおばさんは投票に行ってるからって偉そうに、投票率の悪い若者のことをなじるけど、てめぇらは頭できちんと考えて投票してんのかって、政治ってのをきちんと考えたことがあるのかって言ってやりたいかった。

 

そういう意味でも、民主主義の真義はやっぱりそこにあって、だからとってもめんどくさく、非効率なものなんだと思います。

 

じゃあどうすれば、そういう社会、空気が作れるかってのは、これからの僕らの課題かなと思います。

 

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おいしんご