おいしんごがそれっぽく語ってみた

四国の真ん中、高知県本山町の役場で林業担当をしています。森林のこと、環境のこと、社会のことなど、日々学んだことや考えたこと、感じたことをそれっぽく語っていきます。

障害をもつ人も生きやすい社会になればいいなと思う

 

 

小さいころから、障害を持つ人への差別や蔑視に、人並みならぬ憤りを感じていたように思います。人ごみの中で大声をあげる人や、身体・言語障害を持つ人を笑いものにしている同級生に対して、きょうれつに腹を立てて握りこぶしを作っていたことを思い出す。

勇気がなくて、なにも言えなかったけど。

 

 

その一方で、哀れみや慈しみの目線でしか見れない自分がいることも感じていた。結局上から目線で、”共に生きる”という視点が弱かったと思う。

もちろん、そういう人たちと日常的に付き合う機会が少なかったのも、特別視してしまう原因になっていたとは思うけど。

 

いずれにしても、謎に大きな正義感と、自分の傲慢さの間で、グラグラしていた。

 

 

そんなグラグラ状態でも一貫して思ったいたことは、「障害をもつ人も健常者と呼ばれる人もみんな一緒に過ごして、生きやすい社会ができればいいのに」ということ。

障害をもつ人への差別や偏見がなくなればいいと、漠然と思っていた。

 

 

 

今期、「共生社会思想」という授業が大学であった。

いい機会だと思い、障害を持つ人と共生できる社会を展望する思想について勉強してレポートにした。

時間があまり避けなかったのもあり、クオリティはぼちぼちだけど、とてもいい勉強ができた。

 

参考文献として、「弱者の哲学」という本を読んだ。

竹内章郎さんという哲学・倫理学者の著書で、1993年刊行のもの。

 

絶版になっていてアマゾンでも高くて、借りた本を印刷して読んだ。

哲学的な難しい話はここではしないけど、自分が憤りを感じていた障害を持つ人への差別に批判的な考え方を提示する一方で、自分が陥るようなただ憐みの対象としてしまう考え方(竹内さんは抽象的ヒューマニズムと表現)にならないようにする考え方も示してくれていた。

 

超良書。絶版になってるのが意味わからない。

 

内容には細かく触れないけど、そこに書かれていた考え方を実践している人たちの記事を今日読んだ。運命的やね。

soar-world.com

 

ここの職員さんが竹内さんの本を読んだかどうかは知らないけど、まさに同じようなことが書かれていて、ビビッと来た。

 

みんな全部同じようにというわけにはいかないので、「この人はこういう仕事得意だよね」「こういうとこ苦手だよね」って個性をふまえたうえで対応するのも必要です。だから「みんなに共通する部分」と、「個別性を反映する部分」とを、両方をうまくバランスとりながらやるってことなんだと思います。それは介護でも一緒。高齢者だったらみんなに共通する「年をとれば身体がこういう風に変化する」という原理もあれば、人それぞれいろんな人生を送ってきたことによる個別性もあるわけじゃないですか。この両方をふまえてどういう介護をするか。それは障害持ってる人も、持ってない人に対しても同じです。常に共通性と個別性の両方をどう考えるかですね。 」(本文より)

こういうとことか

 

 

この「恋する豚研究所」と運営団体の「社会福祉法人福祉楽団」

実は、僕が最近気になっていた「自伐型林業」とも関わりがあるらしく、そこ関連で少し前から知っていた。

 

ただ社会福祉事業を行うんじゃなくて、地域全体を巻き込んで、総合的に、統合的に福祉サービスを提供していこうって考え方が、とても魅力的だなと思っていた。

要チェックです。

 

 

話は逸れたけど、まだまだ障害をもつ人に対する理解とか受容とかかなり薄いように思う。

それこそ日常的に過ごしていて関わる人たちじゃないしね。

かかわれる場がもっとあればいいのに。

 

でも、強調したいのは、障害をもつ人が生きやすい社会ってのは誰にとっても生きやすい社会だと思うということ。

障害ってのは個性であって、人ってのはみんなそれぞれ違うけど、障害はその違いが人より大きく出てきてしまっているだけのこと。

その違いを認めたうえで、できることとできないことをきちんと分けて、その人ができることをできる範囲でやってもらう、頑張れる範囲で頑張ってもらう、助けてもらえる範囲で助けてもらう。

そんな関係で、過ごしづらい人がいるわけないと思う。ちょっと極端かね。

 

森だ樹木だと言っている印象が強いかもしれないおいしんごですが、こんな野望持って生きています。

 

 

おいしんご